<第10回><Tokyoウエスタン古事記>

作・藤本精一(元ワゴン・マスターズ)

<無断、転載はお断りします。>

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夜になって僕は、山手のクリフ・サイドの近くの渡辺君という中学時代の学友の所へ行こうと、シャケ缶を二つばかり新聞紙に包んで出かけた。外に出てみると、人っこひとり居ない町中に、何処からともなく何とも言えないソフトでチョット気だるい、まるでこの世のものとは思えない様な音楽が心地よく流れていた。横浜公園のチョット手前までくると、左手で懐中電灯をこちらに向け、銃口を僕の方に向けたまま、銃を右手に抱えたアメリカ兵が、「ドコエイキマスカ」と聞いた。「アイル ゴー マイフレンズハウス・・・イッツセーフ」と僕が言ったら、「ノー ナット セイフ ゴーホーム アンド スリープ」とか何とか言って、懐中電灯持ったままの左手を耳にあてて首を左に曲げた。(寝るかっこ)それで僕は、仕方がないからその夜は家へ帰って寝た。

次の朝起きて外に出てみると、町は米兵で賑わっていた。メリケン波止場の入り口の前までくると、東南アジア系の若い米兵がやって来て、身振り手振りを交えた英語で、セックスをやらせてくれる所は、どこに有るのかと僕に尋ねてきた。僕は何を言っているか解ってはいたが、スッとぼけて、すぐそばにあった公衆便所を指さすと、彼は「ノーノー プシュプシュ ガールオジョウサン」と言った。しかし、以前その手のショウバイをやっていた所を僕は知ってはいるが、それらは今、みな空襲で焼けてしまって、何処に有るのかわからないので、そのことを言うと、納得して去っていった。ひる頃になって食事の支度をしていると、日系のアメリカ兵がやって来て、「ココ ベイグンデ ツカイマス・・デテクダサイ」といった。僕が「プリーズ ウエイトアンティル トゥマロウ サー」と言うと、「ソレワデキマセン・・イマスグ デテクダサイ」と言われた。それで父と祖母と僕は、突如として家無しになった。しかし祖母が八方に手を尽くして、やっと夜までに寝場所を見付けてきてくれた。うちの祖母は平素バカバカしいぐらい知人のメンドウミがいいので、そういう時はみなさんが一生懸命協力してくれるので、助かりました。ちなみに後日、今まで僕らが住んでた所を見に行ったら<GHQ MPステェイション>という看板が出ていた。(隣はマッカーサー指令部だった)

<ヤミ屋>僕等の新しい住家は、南区の弘明寺から、鎌倉街道を百五十米くらい下った、街道沿いの左側にあって、木造二階建てのアパートであった。それは大分古い建物らしく、かなり傾いていた。そして、ほんとは空き部屋が無かったのですが、そこの管理人が僕等のことを気の毒がって、一階の入り口は天井が高く広いので、そこにベニヤ板などを使って囲いをし、入り口には毛布をつるし、特別に部屋を作ってくれたのです。(室内小屋と言う方が適切かも)初めどう云う目的で建てたのか知らないが、この家は、玄関を入ってつきあたりの部屋も、右側の部屋も、襖を開けて出入りする様になっていた。だから、わが家が右側の襖に接して造られたので、右隣の住人は、裏口か縁側から出入りしてたのだろう。なにしろ、隣りとは襖一枚なので、同じ家に住んでるのと同然でした。でも運がいいことに、隣のご主人は今まで僕がつきあった人の中で一番と言ってよい位フレンドリな人だった。それで、夜、お互いに布団の中にいても、退屈してくると、すぐ襖越しに僕に話しかけてくるのです。彼はどこかに勤めていた様ですが、その他に所謂ヤミヤをやっていた。ある夜僕が寝ていると「ねー精ちゃん明日買い出しに行かないか」と誘われた。何か面白そうなので、ついて行ってみることにした。    <次回へ続く>

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