第8回

藤本精一(元ワゴンマスターズ)

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※無断転載おことわりします

<ナベプロ隆盛時代到来> 日劇のウエスタンカーニバルの大成功で、ナベプロは全芸能界を一手に握る様な勢いでばく進を始めた。僕らもその傘下で仕事をすることになったのですが、そこは僕にとって、居心地のいい所では無かった。僕らを呼ぶのに「オメーラよー」というようなマネイヂヤー(と呼ばれるプロダクションの従業員)がいたり、いわれのない言いがかりをつけられたり。僕はまるで明治時代の小僧さんにされた様な気分になった。(前には丁重に扱われていた)人にはそれぞれの生き方があり、環境とか知能程度とか性格・教養などなどがみな違うから、それは仕方のない事かも知れない。でもこのままウエスタン古事記というタイトルでやっていると、どうしてもそういう愚痴みたいな事や、相手を非難したり、笑い者にしたりする話題が多くなる恐れがある。(向こうにすれば嫌な気分になるだろう)そんな事グデグデいうのは嫌いだし、また今更そんな事する何の必要もない。だからこれからは、目を広く向けていろいろ書きたいと思うので、まことに勝手ながら、東京ウエスタン古事記というのはやめて、私のツレヅレ草として再出発いたしますのでよろしくお願ひいたします。

<さて!>ワゴン・エースでもワゴン・マスターズでも、オレンヂブラッサムという曲を看板にしてた様なところがあった。劇場でもコンサートでも、必ずそれを演奏して売り物にしていた。ワゴン・エースの場合等、ある時は、一日おき位にいろいろなテレビ局にでていた時もありましたが、大抵、その曲、一曲だけの事が多かった。ある局のプロデューサーなどは「僕はね、いつも同じ曲ばかりじゃなくて他のもやりたいんだが、スポンサーが汽車ポッポをやってくれというんでね・・・スポンサーにゃ逆らえないからね。」とぼやいていた。今でもその曲は一番リクエストが多く、いつも、日に一回は演奏するのですが、よくお客さんに「そういうやり方じゃなくて、ワゴン・マスターズがやってたみたいにやってよ」と言われます。僕もそうやりたいのはやまやまなのですが、うまく出来るメンバーがなかなかいないのです。あの手の音楽は、タイミングが非常に大切で、よっぽど意気が合わないとどうしょうもないものになってしまうのです。だから・・そう云う時はいつも原田さんのスチールだけでもあればなあと思うのです。先日、あるバンドでワゴン・マスターズのスタイルでやろうじゃないかと云う事になったのですが、なかなか思うようにはいかないのです。汽車の汽笛一つにしても、遠くを走っている汽車の、淋しい汽笛をスチール・ギターでやるのはわりと誰にでも出来るのですが、ばく進している汽車の豪快な汽笛はなかなか出来ないのです。それにイントロのタイミング、だんだん速くなる所、だんだん遅くなる所、エンディングのタイミングなどワゴン・マスターズの様にはいかないのです。もっとも、人は性格とか、才能とか、好みとか、みんな一人ひとり違うのですから、それは仕方がない事だと思います。それである事を思い出した・・・・・(次回へ続く)

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