第7回 

藤本精一(元ワゴン・マスターズ)

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(僕がウエスタン古事記を打ち切ったわけ)僕はなべしんから電話がかかってきたところで、あれを打ち切ってしまいましたが、あとで沢山の方々から、続けて欲しいというご要望が御座いました、パチンコ屋ではありませんが、ここにシンソウカイテン致します。あの時、なべしんから電話があって、来てくれと言われた寿司屋に行くと、彼は・・・「あのね、なんとかあの住吉と云うベース、こっちに引っ張れないかなあ・・みんなと別な服を着せてやって、歌も歌わして、これすれば来るんじゃないかな、やってみてよ」と言って、両手の手の平を上に向けて胸のあたりで持ち上げた。(おだてる格好)それで僕は早速、住吉君の所へ行って頼まれた通りすると、「オリンちゃんもダハラも行っちまうなら、俺も行こうかなあ」と云う事になってしまった。だから楽器を演奏する五人のうち、バンマスでサイドギターの小山さんと、エレキギターの野口君だけが、まるで置いて行かれたみたいになった。そんな事を書いていたら、何だかみんな、自分の都合のいいように、お互いに人を騙しあっているみたいな感じがしてきて、嫌な気分になってきた。そもそも、人間が生きていく上で、特に経営にたずさわる人は、手練手管というのが無くては、うまく行かない事もあると思います。だから、色々計略を巡らして、自分たちが有利になる様に行動する事は仕方がないと思います。ですが、私はどうもそういうのが好きでない様で、その様な事にふれて書いていると、自分が楽しくなくなって、健康にも良くなさそうなので、それで書くことをやめました。

(ワゴンエース)ところで、ワゴンマスターズが解散する少し前、我々は渋谷のエイガ館に出演しました。休憩時間に、楽屋でねころんでいると、原田さんがやって来て、「バンドの名前何というのにするかなあ・・・考えてよ」と言った。僕はチョット考えてから、「レインボーランチボーイ・・どうかなあ」と言うとうーんと唸ってから「ワゴンがつくの・・いいなあ」と言った。それでその日一緒に出てた、リズムエースと云うバンドを思い出して、「ワゴンエースと云うのは」と言うと、彼は急に明るい顔になって、チョット大きな声で「それだ」と言った。それで新しいバンドの名前は決まった。このバンドのメンバーは、僕と原田さんと住吉さんの他は、売れ出すチョット前のマヒナ・スターズから来た、ベースの佐野さん(住吉さんはこのバンドではボーカルでした。)ドラムスの加瀬沢さん、エレキギターの瀬谷さん、僕と一緒にやりたいからといって、前のバンドを辞めてきた(辞める口実かも・・)ボーカルの関口さん、それにロカビリーを歌う林さんでした。

(銀座アシベ)僕らの新しいバンドの、初め頃の仕事場は、コンサートやテレビの他は銀座アシベという所が多かった。それは銀座の大通りを新橋からチョット行った右側の、ガスホールの地下にあって、所謂ジャズ喫茶だった。しかし、ジャズはあまりやってなくて、ウエスタン風の名のロックバンドが主に出ていた。その頃、劇場やコンサートでは、我々は外様大名みたいなもんで、あまり愉快では無かった。しかし、ジャズ喫茶では、我々が中心なので、ワゴンマスターズの時代からのファンも沢山来てくれて、結構楽しかった。お客さんの中には、その頃売れていた女優さんや、モデルの人などもいて、なかなか華やかだった。その頃、僕は、バカマジメと云うことで通っていたので、その人たちは、誰か僕の仲間のところに逢いに来たとき、誰の所へ来たのと聞かれると、マスコミなどを誤魔化すため、僕の所へ来たと、嘘を言う人も多かった。それで、僕がとってもモテる様に思われた。しかし、本当はその人たちに頼まれて「何々さんが何処で待っているよ」と伝えるだけだったのです。   

(次回に続く・・・・・)

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