第4回

元ワゴンマスターズ・藤本精一

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<バンマス>このバンドのバンマスは野村さんといった。彼は、僕が初めてこのバンドに入った頃、何の曲でも、間奏になると、『オリンちゃん、アドリーブ』と後ろから叫ぶのです。それで、バイオリンばかり、やたら目立ってしまう様になりました。ある日、バンマス(スチール)はファンの兵隊に、『お前のところでは、やたらにバイオリンばかり、多くやっているが、どういう訳かアメリカ人は、スチールギターが好きなので、もっとやって欲しい』と文句を言われてしまいました。また、ハワイアン ウォーチャントなど、のりのいい曲になると、彼はみんなに『オドレ、オドレ』と、後ろからハッパをかけるのです。それで、みんな、一生懸命に体を動かしたり、ステップを踏んだり、とても賑やかでした。

<マネージャー>このバンドのマネージャーは、朝比奈さんといった。彼は家柄が良いお陰か、三菱の米軍専用の自動車工場の結構いい地位に居た。だから、バンドが忙しくなってくると、一人では、間に合わなくなった。それで、用件によっては、ジャンケンで負けた人が、マネージャーとして行くことになった。しかし、これがまた、大変だった。まず、売り込みに行く(大抵、交通不便)後日、電話で呼ばれて、契約に行く。いつの日の、何時から何時まで、女の何が何人、男の何が何人、ギャラは幾らなど、細かく書いて、お互いにサインする。メンバーを代えられないよう、全員の写真も出す。次には、演奏が終わった時点で、インボイス(納品書)というのを提出し、支払日にまた、小切手を貰いに行って、それをアメリカ銀行の日本の出張所に行って、円に換えてもらって受け取って、サインをしなければなりません。ともかく、そんな具合にやっていたら、しまいに『おまえのところは毎月マネージャーが変わる。どーなってるのか、それでは困る。』と文句がついてしまった。(当たり前だ)

これは、余談になりますが、朝比奈さんの母上は、当時の皇后さまのお付きだったお方で、とても気位が高く、彼も大変でした。ある日、バンマスの所へ『うちの息子を、河原乞食に引きずり込んだには、あなたですか!』と怒鳴り込んできたそうです。(バンマスは笑ってた)

<朝鮮戦争でアメリカ行きオジャン>僕らが、毎週出演していた、ヨコスカの基地内のCPOクラブ(下士官のクラブ)のボスが『君たちをアメリカに連れていきたいのだけれど、どんなもんでしょうか?』といいだした。僕たちはとても喜んでいたら、(その頃はお金を出しても、行くのはむずかしかった)突如、朝鮮戦争が始まって、その話はオジャンになった・・・・・<次回に続く、次回はいよいよ、ワゴンマスターズの事・・>

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