第6回

作・藤本精一<元ワゴンマスターズ>

(無断転載はお断りします)

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<ウエスタンバンドのコンテスト> いつの頃か、有楽町のビデオホールで、ウエスタンバンドのコンサートがあり、その中で、ウエスタンバンドの人気投票に依るコンテストがありました。それで我々も参加したら、一位になりました。その後も、いろいろ人気投票がありましたが、いつも、、巨人軍と一緒にトップでした。今になって考えてみると、なにかウラに、強い味方がついていた様な気がします。だけど、たしかにこのバンドは、お客さんが見て、楽しいバンドだったと思います。それから、その頃は、ローティーンの為の音楽は余りなかったので、我々はそれらの人に、うってつけだったのだと思います。そのうち我々は、全国の映画館を回ってあるく仕事が多くなり、東京には、あまり帰らないようになりました。(東京では主に国際か日劇だった。)それで、東京でやる時は「今度、東京へ行くぜ。」等と言って、その日を楽しみにしてました。

地方の映画館で、びっくりしたのは、表の看板に<日本一のウエスタンバンド、東京のコンテスト第一位、ワゴンマスターズむりょ二十余名来演>などと書いてあったりした事です。なぜって、マネージャーからバンドボーイ、ゲストの歌手やその付き人、興行師のおじさん達、それに司会者など、みんなマゼても、そんなにはいっこないからです。ともかく、どういうわけか知らないが、我々は、女の子をかきわけかきわけしながら、仕事をするようになってしまいました。特に、京都の松竹の映画館の時はすざまじくて、バンドが演奏を始めると、お客さんがパニック状態になり、最前列の人は、後ろから押されて潰されそうになり、女の子などは苦しくて泣きわめいていたり、失神しそうになったりしてました。だから、僕たちは危険だと思ってその人たちの手を取って舞台にひっぱり上げました。そして音を出すのを中止しました。すると少し会場が落ち着いてきたようなので、演奏を始めたら、また大騒ぎになりました。僕はバカバカしくなって(少し、怖かった・・)地下にあった事務所に逃げていってしまった。堀さんと寺本さんも憮然とした様子でそこに来てました。しかし、お金を取っている以上、そのまま止めてしまう訳にもいかないので、なるべくお客さんを興奮させないよう、気をつかって演奏してなんとか危機を脱しました。

<日劇のウエスタンカーニバル> それからいくばくか日がたって、日劇でウエスタンカーニバルと云うのを、やる話が持ち上がった。それは、はじめはワゴンマスターズが中心になってやる筈だったらしいのですが、我々の全く知らない所で、プロダクションとかなんとか色々な勢力のゴタゴタがあったらしく、僕らは参加しない事になりました。そんな事が関係してか、原田くんがナベプロにひっぱられていってしまう事になりました。だけど、僕たちは、原田抜きでみんなでガンバルつもりでした・・・・

しかしある夜、原田さんの奥方が僕の家にやって来て、「こんど、なべしん(ナベプロ社長)がさあ、ウエスタンを大々的に売り出そうと言っているのよ、それでうちもバンド、作ってやるんだけれど、オリンちゃんは今までとてもいいコンビだったんで、一緒にやってくんないかしら。」と言って、良い話ばかりするので、つい僕もそっちに行くのに決めた。それから数日たった夜、なべしんから電話があって「ちょっと、話があるので渋谷のなんとか云う寿司やに来て下さい。」と言われた。そこに行くと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで書いてきたら、急に気乗りがしなくなったので、今回の「東京ウエスタン古事記」はオワリにします。

あしからず。

<ひえーっ、突然の終了。でもご心配なくこの続きは次回「僕がウエスタン古事記をうち切った訳」で再開>

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