藤本精一(元ワゴンマスターズ)
☆僕とウエスタン
僕がウエスタンを始めたのは、別にそれが好きだったからではありません。あれは昭和二十一・二年の頃でした。ヨコハマの南京マチ(中華街)に、亜細亜とか何とか云うキャバレーがあって、僕はそこで仲間四、五人と、ササヤカなバンドをやっていました。そんな或夜、あるお客さんが、演奏している僕のポケットに小さな紙切れを入れて、ちょっと頭を下げて出ていった。それには、お話したい事が有ります。海員閣で待ってます。と書いてあった。
休憩時間に、そこに行くと、彼が居て、『まーメシでも喰いながら話しましょう』と云う事にになった。彼の話では・・・・・・・・・現在、仲間と五、六人で、ハワイアンのバンドをやっている。彼はマネージャーとサイドギターを担当している。最近は、米軍基地の仕事が多く、そこでは今、ウエスタンと云う音楽が、とてもウケている。それで、どうしてもバイオリンを入れたい。貴方なら出来そうなので、是非参加してほしい。と云うことでした。僕が『ウエスタンて何ですか』と聞くと『まー、一遍見に来て下さい。』と彼は云った。
全く運がいい事に、僕達のバンドは、その店との契約がきれ、バンドも解散するところだった。だから、渡りに舟でやってみる事に決めた。
それで、或日曜日の午後、彼等がその日出演している、ゼブラクラブという所へ行った。そこは下士官のクラブで、南京マチ(中華街)の横浜公園寄りの入口の少し手前を、左に行った所にあって、元、加賀町警察の所だった。(今はまた、加賀町警察)
そこには、戦争に勝ったばかりの、アメリカ下士官達が、女の子を交えて、皆、誇らし気に、お酒を飲んだり、食事をしたりしながら、愉しそうに談笑していた。その頃、普通、日本人はアメリカ人の前では、ヘイコラして、遠慮しながらちぢこまっていました。(今でもかな)なのに、彼等のバンドは米軍と、よっぽど相性がいいらしく、まるで仲間同志みたいに一緒になって騒ぎながら、やたらハッピーに演奏していた。(変な日本人をいう事で、評判だったらしい)
僕は、こりゃ面白そうだ、と思った。だから、控え室で、バンドのマネージャーに、『どー、一緒にやりませんか』と云われた時、二つ返事で『お願いします』と答えた。『それじゃー今度、練習する時、楽器もって、来て下さい・・・電話しますので、その時こまかい事は話しましょう』という事になった。それから二、三日たって『次の土曜日の午後、ドラムスの家で練習するので来て下さい』という電話があった。土曜日になって、メモしておいた地図を頼りに、そこへ出かけた。 <つづく>