6)ビールがうまい!残暑ライブ

ロイ田沢

<Back In Town 9月2日(木)>
♪BITでウエイファーのテレビ収録公演♪


 はっぽん(国立)と並びThe Wayfaring Strangersの演奏会場として定着したBack In Town(新宿・曙橋)で、9/2(木)夜、東京MXテレビにより公開録画が行われた。担当プロデューサーの笑いを誘う拍手の仕方(強く、細かく、元気よく)の伝授に続き、定刻19:30、“I Wonder Where You Are Tonight”が始まった。この夏の殺人的炎暑にもめげない練習効果で、メンバー一同夏ばての気配もなく、ブルーグラスサウンドは相変わらず軽快だ。還暦の武田が駅弁風に抱え、立ちっぱなしで弾くドブロは健在だし、一時痛めていた脚も全快したウッドベースの林も元気。1959年、桐朋高校の学芸会で産声を上げて以来、同校出身者だけの純血主義で受け継がれてきたこのブルーグラスゴスペル&モダンフォークバンド。現メンバーで再編成されたのが1998年、加齢とともにいぶし銀の魅力も増幅される昨今だ。

 1960-70年代にはカレッジポップスという形で和製ブルーグラスが積極的に導入紹介されてきたが、その中から、「もしもあの娘が恋人なら」や萩生田のオートハープをフィーチャーした「母からの便り」も演奏され、客席から作者の田村守がこれらの曲に慈愛のまなざしで耳を傾けていた。ハーモニーがきれいな““Tennessee 1949”と“Remembrance Of You”が続き、インストの“Jalapeno Flashback”でファーストステージが終わると、こんとん館(原宿)をベースに活動中のTrialsが紹介された。吉沢夫妻(Gi,Vo)(Vo)と鈴木(Gi,男声Vo)の3人編成、ハーモニー中心の結成1年のグループだ。途中からドブロの小島と、マンドリン、ベースがバックアップ、“Amazing Grace”などを熱唱した。

 むかしむかしのカレッジボーイたちが再度、例の布陣で舞台に上がった。初代からの武田温志(Do、東京農大)、MCも兼ねる現リーダーの近藤俊策(Ma、明治学院大)、かつてベースを弾いていた堀口孝一(Gi、獨協大)、森山良子のバックも務める林京亮(Ba、日大)、温顔の萩生田和弘(Bj、成城大)。“Roll In My Sweetbaby's Arms”“Red River Valley”“Banks Of The Ohio”“Aunt Dinah's Quilting Party”“Hello Mary Lou”などおなじみ曲に、多分今回初披露の“Four Walls”も折り込み、1ダースが円熟のハーモニーでまたたくまに歌い尽くされた。

 この日の模様は首都圏で受信可能なMXテレビ(埼玉では17チャンネル)で11月12日(金)と11月19日(金)の2回に分け、モダンフォークのFroggiesとの合成編集で放映される。番組名は“Together Again”。放映時間は22:30から30分間。どうぞお楽しみに。



文中敬称略
(リポーター ロイ田沢 2004-9-6)

(5)

ロイ田沢

所沢名物ローンスターピクニック <2004年・5月9日(日)>
飲んで食べて、カントリー音楽と踊りを満喫


雨降れども客足衰えず。第9回Lonestar Picnic(5/9所沢航空公園)が盛会だった。会場の野外ステージに入ると、もうそこは西部劇の世界。ハット、ブーツ、ジーパンに金ピカバッケルの男たち、ウエスタンウエアで着飾ったに淑女、ガンをぶら下げ、拍車付きブーツのカウボーイ、鉄砲を手にした精悍なチャールズ・ブロンソン風もいる。カントリーダンサーの層も厚くなったようだ。かってのカンリー音楽を聴くだけのウエスタン・カーニバルからみると隔世の感。今やダンサー抜きにはこれほどの動員力確保は難しい。

さあ、金平隆(愛称JT、主催兼プロデューサー)の発声で初参加Wild Westがキックオフ。2人の女性ボーカルや新婚ほやほやのキーボード奏者など若さが売り物のカントリーロック系だ。二番手はピュア・カントリーを標榜する天才ばあぼんず、楽団幟を立てて正統カントリーで盛り上げる。The Hillbilly Angelsもこのイベントのニューフェイス。バンド名のごとく若き女声コーラスが魅力だ。ブラッド・ペイズリーを想わせる石川も加えた"Never Again Again"はこのグループのおはこに違いない。玄太郎&Net Focusではジャパニーズ・プレスリーが登場した。純白の衣装でエルビスお得意のニーアクションを随所に入れながら熱唱。和製ジョン・デンバーも”カントリーロード”をすがすがしく歌う。

一時雨足が強まったが、このピクニックの熱気の方が勝ったのだろう15分の休息時間をはさみ、札幌の大野真吾のステージでは小止みとなった。愛飲家らしくグラス片手に登場、相変わらず声はすばらしい。司会のJTが自省をこめてか、飲み過ぎると肝臓に悪い、肝臓を痛めると腰にくると警鐘を鳴らす。Big Forest Cowboysは大森在住でリーダーの佐藤が欠場、川越がその穴を埋めるかのように頑張り、キャンディの歌うリアン・ライムズのナンバーもよかった。

常連バンドの一つ、ライブハウスはっぽん(国立)をベースに活躍するOle Country Boysが赤シャツに黄色のタイで現れた。昨年は確か白シャツに赤バラの刺繍だった。決めたのは舞台衣装だけではない、名曲"Raw Hide"の男声ハーモニーは圧巻。大柄なぬうが打ち鳴らす”生皮”がタイミングよく響いていた。

ラス前のWildwood Rosesではキーボードの電気系調整不良で手間取った。エレキ楽器を多用するカントリーバンドに潜在する課題なのだろうか。ブルーグラス系はアコースティツク楽器編成なのでこの点は心配ないようだが……。ともあれJTと司会のコンビを組んでいるMizuhoのボーカルを中心に無難に切り抜けた。田村大介とヘンリー矢板、さらにサプライズゲストとして坂本孝昭も迎え、トリはLonestar CafeのハウスバンドJT率いるTexas Companyだ。定番の”The Shake"では舞台前すべてがダンススペースと化し踊りの渦。フィナーレは"I Saw The Light"を出演者総出で合唱。ダンサー達は列になって肩に手を乗せ、手をとりあって軽快にステップを踏む、「また会いましょう。母の日に」を胸に……。

今年の参加数は雨天にもかかわらず、例年をしのいでいたようだ。若手台頭によるカントリー音楽の復活とカントリーダンス普及のためには喜ばしい限りである。これに子ども達がもっと増え、カントリーとはまた一味違うブルーグラス音楽の箸休め効果が加われば申し分なしと思うのだが。来年は10周年、名企画に期待がふくらむ。 ――敬称略――
    (リポーター: ロイ田沢 )

(4)

件名 : ロイ田沢のイベントリポート
日時 : 2003年11月24日 17:52

モダンフォークの戦士たち一堂に
六本木・アビーロードで4バンドのパーティ


 40代から60代まで、100名を越えるオーディエンスが、11/22(土)の昼下がり、ビートルズ・ミュージック・ライブハウスAbbey Roadを埋めた。クリスマス・イルミネーションで飾られた、いま話題の六本木ヒルズの近くという地の利と、飲み食べ放題の割にはフレンドリー・プライスのためもあってか、開演30分前の3時にはほぼ満席。風貌が谷啓?の総合司会、小山光弘の発声で一月早いクリスマス・フォーク・パーティの開幕である。
 トップはキングストン・トリオのカバーバンドThe Kingston Mark V。リーダーはアコースティツク系ライブハウス、曙橋・Back In Townの山田店主(G &Vo)だ。キングストン・コピーバンドは全国で15-6はあるというから、その信奉者はまだまだ広く健在のようだ。キックオフはカントリーファンにもなじみの”ジョージア(コロンビア)スタッケイド・ブルース”。司会のニック星野が軽そうに抱える4弦ギター(実際には8弦、日本製名器)などギター3本とバンジョー、ベースの5人編成で、原曲がブルーグラスの”柳の木の下..”や”ジョン・ヘンリー”をスローな曲調で聴かせ、最後は加山雄三のナンバーで締めた。十八番のはずの”トム・ドユーリー”はついに出なかったのは残念。
 2番手はPPMトリビュート・バンドThe Modern Folk Fellows、紅一点(大山ノブヨ)を含む慶応OB5人組だが、楽器はギター2本とベースのみとシンプル編成。おなじみ”パフ”や”サンフランシスコ・ベイ・ブルース”を軽快にハモり、名門ワグネル・ソサイアティを想起させた。それにしてもベーシストがあまりにもトニー・ライス(ブルーグラス・ギターの名手)に似ているのには驚かされた。
 ラスマエは桐朋高校OBで固めたThe Wayfaring Strangersの面々。この日はグレーのジャケットにシャツは黒と白を着分け、タイもめいめい色違い、最年長の武田温志の右腕、右襟には金モールのオタマジャクシもあしらい...ときめ細かい。演奏面では、1曲目とエンデング曲にインストメンタル(楽器曲)−名作”フォギー・マウンテン・ブレークダウン”でスタートし、コード進行が難しい”パラーペーニョ・フラッシュ・バック”で閉じ−を配するなどにくい演出。”ハローメリールー”、”レッドリバー・バレィ”のポピュラーや和製ブルーグラス”母からの便り”も織り交ぜ全10曲を披露、彼らの円熟のハーモニーはいつ聴いても飽きがこない。また武田のドブロさばきは、大手術の試練を経て間もないのに感動ものであった。
1967年第1回ヤマハ軽音楽コンテスト・フォーク部門優勝の勲章が錆びるどころか、いぶし銀の様相を呈するThe Froggies(明星高校OB)がトリを務めた。あのブラフォーの大ヒット曲、”グリーン・フィールズ”を彷彿とさせる男声4重唱。アコースティック・ギター3本とベースが刻む、音量を押さえたリズムに乗せ”クレイジー”や”ブランディ・ワイン・ブルース”の重厚なハーモニーに、うっとりと聴き惚れる女性がなんと多かったことか。ベースの小池ジュンイチが、4人ともできあがっていると話してたが、リーダーの小山だけがステージで生ビールを所望、多分世話役としての雑務で飲むひまがなかったのであろう。”ジョーダン・リバー”に続き、アンコールはスローナンバー”マイ・タニー”でしっとりと締めくくった。
出演バンドが多少入れ替わるが、12/20には吉祥寺・Be Pointで同様のパーティを開催するという。Folk Music is forever!

 取材協力:武田温志、小山光弘/文中敬称略  
(2003-11 リポーター:ロイ田沢)

(3)

<カントリー音楽と踊りの祭典>
母の日に所沢・航空記念公園で (2003-5 ロイ田沢)


Lonestar Picnic 2003(5月11日)が今年も所沢航空記念公園*の野外ステージで行われた。カントリー音楽の町、ナッシュビル(米・テネシー州)で毎年6月に開催される世界最大のカントリーミュージック・フェスティバルFan Fairをイメージしたこのイベントも8年目を迎えたが、4日間にわたり200人ものアーティストが出演、主会場は西武ドームなみ、歴史も32年目のFan Fairとではスケールも伝統も大人と子供。だがカントリーダンサーたちがステージ前で、自由に踊れるという視点からは価値ある野外行事と言えそうだ。ハットとブーツとウエスタンウエアーで着飾った様々なダンスクラブ所属の100名近くが生バンドの演奏に合わせステップを踏むシーンは見ているだけでも楽しい。もっとも後半には、ほろ酔いで足元があやしい踊りも加わるがご愛嬌であろう。

 朝10時前から入場門に列が出来はじめた。中1のときハンクを聞き、カントリーファンになったという初老の婦人、自転車で駆けつけた地元の人、ダンス愛好家やロンスターカフェの常連などで列は伸びる。みないい席を取ろうとの思いは同じ。ジャスト10:30入場開始、再入場ができるよう手の甲にスタンプが押される。曇天、午後からは雨の予報だが屋根付なので心配無用か。出演全10バンドのうち4っが新顔である。

 トップは初出演のUni-Sex Cowboys、地味でカジュアルないでたちでもMiyaの声量は豊か、ブラド・ペイズリーやアラン・ジャクソンを歌ったKoji Kondoは”年甲斐もなくあがってしまった、一パイ入らないとだめだ”と頭を掻けば”ボーッと立ってないで、曲目ぐらい言わなくちゃ”と主催者で司会役のJT金平。2番手は5年ぶりにやってきた湘南グルプ、Sammy Hirano & The Drunkers。みな酒好きなのだろうか、星条旗をあしらったコスチュ-ムはよく似合う。奇妙なネーミングの
Tensai-Bourbonsもニューカマーだ。リーダー竹井大輔の娘Sae-chanのフィドルもよかったし、バンジョーを加えてのTrack Draiving Manは迫力満点。初顔4番手のRambling Cowboysには、JTが学生時代から尊敬してたという遠山裕一郎(E-Gi)やオールドファンが多い上林貴(Ba,Vo)がいる。Terao Gentaro(Fi,Vo)率いるNet Focusのジョージ・ストレートOne Night At A Timeのハーモニーボーカルが抜群。この曲に合わせて踊っていたカップルダンサーたちも華麗。Pancho Asakuno(Gi,Vo)はロンスター応援団長の小林定行の覚えめでたい。曲名と同じ振り付けで踊れるアラン・ジャクソンのMeat &Potatoを披露したのもこのバンド。

 観客の顔ぶれは大半が市外から。ロンスターカフェの常連客、ダンスファンや音楽ファン、バンド関係者やその家族、なかには青い目の外国人も10名ほど。驚いたのは、ロンスターオープンステージの人気者世川勲が現れたとき。遠く牛久(茨城県)から駆けつけ、おまけに京都から友人たちを車で呼び寄せ、内一人はフォトグラファー山本、パイプをくわえながらカメラを抱え忙しく走り回る。横田基地からはヴァージニア州出身の長身青年将校セス・ギルモアも。踊る訳でもなし、ただただ純粋に自国の歌をライブで聴くのが好きと言う。

 休憩をはさみ後半トップは札幌の大野真吾(Gi,Vo)、ドワイト・ヨーカムを彷彿とさせる端正なマスクで、特大ペットボトルの水をがぶ飲みしながら曲目紹介、Charlie Inomaのブルースハープ(ハーモニカ)との息はぴたり。大野のファンで後援者でもある池袋Chuck Wagon の権田マスターも顔を見せていて、”札幌に行ったらぜひ彼が演奏してるクラブへ”とのお誘い。
 大山、青山、東山などを直訳した英語を冠するブルーグラスバンドが多いがBig Forest CowboysはリーダーのLucky Sato(Gi,Vo)が大森在住と言う。武蔵工大OBで固めたこのバンドのアイドルは小粒でピリリと辛いCandyOkada。KenKawagoeのSilver Wingsもなかなか渋い。
 国立のはっぽんをベースに活躍してるOle Country Boysは赤いバラの刺繍が一際目立つ白シャツで登場、キッキオフはRose Garden。Andy Tokunaga(愛称・徳さん)もエデイ・アーノルドの”バラの花束”を歌うなど今回はバラ攻めだ。はっぽ
んの店主大ちゃんことMCのAmami Oshimaも没後50年ハンクのYour Cheatin' Heartを熱唱。またMushy Kamaishi(St-Gi)ジュニアのMako(誠)や大柄な肢体を緑のステージ衣装で軽く包んだNuのボーカルも印象的。このバンドは気持ちよく踊らせ、見せることを意識した演出を心がけてるように思えた。演奏が終わりJTが徳さんを呼び寄せたときは、雲行きが怪しく周囲も暗くなっていた。特殊照明効果を狙ったのだろう、JTが徳さんのハットを取るよう促す。
 Wildwood Rosesの女性ボ-カルMizuhoはJTとのコンビ司会も受け持つ。全米で人気のシャナイア・トゥエインのI'm Gonna Getcha Goodを歌いだすと、ダンサーたちはこの曲に対応した振り付けGetchaを踊るため一斉に演奏ステージ真ん前のフローアに駆け込む。
 16:00ラストステージがやってきた。金平隆の店ロンスターカフェ(高田馬場)の専属バンドJT Kanehira & Texas Companyのテキサスガイたちの出番だ。師匠金平のもとで修業中の田村大介が歌うころには予報通り降り出し雨足早く左翼の客席に吹き込んできたりしたが、メイン・ゲストのHenry Yaitaが現れたころには幸い小降りに。例のおとぼけ口調で”では<雨が止んで>を歌います”と言って、歌い出したのはLove Sick Blues、ジョークは健在だ。後はJTの独壇場。マール・ハガードの代表作、Okie From Muskogeeやオズモンド・ブラザーズのRocky Top Tennesseeなどの名曲の数々。 ニール・マッコイのShake が始まると、JT振り付けのカントリーダンス(腕と上半身の動きを大胆に取り込んだ踊り)と相まって会場は最高潮。そしてフィナーレは昨年同様、出演者総出でI Saw The Light、ダンサーたちはみな腕を組み、肩に手を乗せて。さようなら、また来年、母の日に。

天候はまずまず。客入りは6割ほど。ステージを見下ろす会場後方には緑したたる芝生がありBBQも楽しめる。屋外のため多少の煙は許されている。カントリー音楽のみならずブルーグラスを愛する人達も広くターゲットにし、カントリーダンスもよ
り身近なものにするため、ブルーグラスバンドも入れ、デモダンスやワークショップタイムも設け、地元所沢市民への認知度をさらに高める工夫をすれば、2000席満席の夢も...。


<所沢航空公園>

*1911年4月ここに日本最初の飛行場ができ、米軍航空基地を経て、県立公園と
なる。
総面積50ha(約15万坪)、花見シーズンには500本の桜が市民を楽しませている。
*敬称略
*取材協力:徳永喜昭、小林定行、山田直映、吉田徹
                   

(2)
<まさに円熟のハーモニー>
中高年ブルーグラスバンドにしびれる (ロイ田沢 2003-4)


Bill Criftonと共演し大成功を収めたBack In Townでの余韻さめやらぬうちに、The Way Faring Strangersの単独ライブ(4/20国立はっぽん)があった。この日はWF(略称ウエイファー)の奥さん連は勿論、OBたちや応援団、演奏仲間が押し掛けるリユニオン・パーティでもあり、リーダー武田温志(Do)の入院直前激励演奏会でもあった。開演6時には予備の丸イスも所狭しと並べられ、瞬く間に数十人のファンで埋まった。キックオフはずばりA Wayfaring Stranger。そしてビルのおはこBlueridge Mountain Bluesと続く。Sunny Side Of Lifeの近藤俊策(Ma)のハイロンサムテナーが場内の空気を振るわせる。ビルとの時もそうだったが、堀口孝一(Gi)との呼吸はぴったり。When You Kneel At My Mother's Graveが始まると、隣席の豊田夫人(武田の同級生。夫君はWFの元MC)が”この曲は林京亮(Ba)のご 母堂(享年92)のお別れの会で演奏したのよ”と囁く。そう言われて見ると端正な顔立ちの林の目が潤んでいるではないか。Double Eagleはギターが聴かせどころ、会場中
央に陣取った女性応援団の黄色い声に堀口の顔が緩む。ブルーグラスはいたずらに翻訳せず生まれた国の言葉そのままに、韻が生み出す歯切れの良さを楽しみながら歌うのが本筋で、さもなくば和製ブルーグラスを作詞作曲するのがベストであろうと考える。このことを武田の旧友、田村守(大手飲料会社社長、シンガーソングライター)が実践している。彼の作品”おはよう友達””チャペルの鐘の音”など計4曲が演目に配されて、一種の癒やし効果をもたらしていた。ところで武田の指導よろしく、彼らのステージ上には譜面台はない。あっても老眼で見えないなどと軽口を叩く客もいるが、文字やコードを追いながらでは情感込めた演奏ができる訳がない。またボーカルハーモニーの美しさはブルーグラスの特徴であるが、WFのそれは半端でない。手ぶらで4重唱するデュークエイセス、楽器にも神経を使いながら絶妙なハーモニーを奏でるWF、ジャンルが異なるとはいえ差し引きいい勝負ではと思うのだが、褒めすぎであろうか。2部も後半に入ると、Kunitachiが流れてきた。女性カントリー歌手、RattlesnakeAnnieのここはっぽんでの来日公演は1992年以来続いており、この曲は彼女の作品と徳永喜昭(Gi & Vo、Ole Country Boys)が教えてくれた。ブルーグラスのもう一つの特色はバンドの全メンバーが主役になれることである。インストルメンタル(楽器演奏のみ)のとき、めいめいが交互にソロを弾く。最後の26曲目、Dear Old Dixieでは萩生田和弘(Bj)がバンジョーをオートハープに持ち替え主役を見事にこなしていた。ブランソン(米・ミズリー州)で買ったと言う風変わりなネクタイとツナギのいでたちの武田が、近着のBluegrass Unlimited誌4月号に掲載された自著”One Japanese Band's
Wayfaring Journey To Bluegrass”を紹介、回覧したが、読めば日本のブルーグラス史の一端を垣間見ることができるはずだ。拍手のタイミングを外さないようになど、汗を拭き拭きの近 藤の軽妙な司会で進行した2部構成のプログラムは終った。誰かが叫んだ、”今までで一番よかった”と。再結成して4年半というこのバンドは、BU誌の見出しのように、さまよい
ながらもブルーグラスへの挑戦の旅を続けるのであろう。 <文中敬称略>

(1)
<ヴァージニアの風に抱かれて>
ビル・クリフトンの来日公演を聴いて (ロイ田沢 2003-4)


日本のブルーグラスファンにはおなじみのビル・クリフトンがティネカ夫人を伴って10年ぶり5度目の来日中であるが、このほど都内公演の第2弾(4/9 Back In Town・新宿曙橋)で初対面がかなった。4月5日が72歳の誕生日、さすが寄る年波は否めないが愛用のマーチンギターOM42やオートハープを抱えて歌うカーターファミリーナンバーの数々には”伝道師”の風格がに
じんでいたし、ホスト役の武田温志(Do)率いるThe Way Faring Strangersとの共演では熱気と迫力がファンを圧倒した。このグループは単にサイドメンとしてビルの伴奏だけではない、近藤俊策(Ma)、堀口孝一(Gi)、林京亮(Ba)のボーカルトリオの絶妙なハーモニーもビルの音楽性を引きだしていたように思えた。童顔の萩生田和弘(Bj)を加えたクインテット。わずかなリハーサル時間でよくもここまでと敬服させられる。ビルの音楽歴や人となりはこの日のホスト役の武田やビル招聘の企画元である丹
沢ブルーグラスの三瓶正行の話、あるいは専門誌ムーンシャイナー3月号でも詳しく紹介されている通りであるが、とにかく1967年の初来日以来の日本びいきで桜や日本酒や豆腐を愛し300曲余りあるヴァージニア州の歌、なかでもカーターファミリーの曲を日本ファンに紹介したインテリブルーグラッサーとして知る人ぞ知る存在なのだ。演目をメモしたので羅列してみよう。WFSの単独ステージに続くビルのソロステー ジでは演奏順にStern Old Bachelor、Somebody Wedding For You、カントリーファンにもなつかしいPeachPicking Time Down In Georgia、オートハープを弾きながらGreenfield Of Virginia、ギターソロ(題名は聞き取りできず)、アイリッシュ音楽のCome By The Hill、Rainbow Finds 、Its Sin?(作曲ビル、詞APカーター)、Longing For Virginia 、おなじみ のKeep On The Sunny Sideの計9曲。演奏途中に、係りがビルに椅子を勧めたが本人は固辞し元気ぶりをアピール。何せ鎌倉旅行 中の大雨の寒い土曜日(4/5)にはワンカップ日本酒を一気飲みし、娘と同名のこの酒月桂冠(ローレル)がすっかり気に入った模様。またオランダ生まれのティネカ夫人は一升酒どころか二升はいける酒豪らしい。確かにWFSの奥様連に囲まれた客席での飲みっぷりからみても翌日入電した武田Eメールの二升説は誇張ではなさそう。さて3部構成の最後は9時10分開演。Bluegrass In Sunny Tennessee、Gathering Flowers 、Oh Brotherからの1曲?、Are You Alone、オートハープで Home Sweet Home、 メリーディア、Sunny Side Of Life(近藤とのデユエットは絶妙)、Byond The Time、名曲When You Kneel At your Mother's Grave、 March Winds、All The Good Time's Passed And Gone、ミシシピーの白い煙突?、Lonely Heart Blues、 Walking In My Sleep、この 曲抜きにビルクルフトンを語れないBlueridge Mountain Blues、 Will The Circle Be Unbroken、 Dixie On The Hill、The Banks Of The Ohio...。フィナーレはビルの誕生日を祝い、会場からはごく自然に”Happy Birthday"の合唱が。続いて花束と日本土産として桐の男物下駄(何とユニークなアイデア)や夫妻の好物の焙じ茶の 贈呈。お返しはおしどり夫婦の二重唱、さすが結婚歴25年の円熟のハーモニーである。ライブでは珍しい完全禁煙、定員を大幅オーバーの100名余のファンで超満員でも、店内は全店禁煙の効果で終演までクリーンそのもの。演奏者の喉への負担も少なく、non smokerの観客も大歓迎。これからの演奏会はこうありたいもの。演奏会にはつきものの作品頒布会が始まった。2001年にオランダで収録したビルのCDは瞬く間に売り切れ、購入したファンがそのCDにサインを求める列を作る。中には古びたビルのソングブックや譜面に、若き頃のCDアルバムに、あるいは自分のかぶってる帽子 に...。Good newsとして米・ブルーグラス専門誌Bluegrass Unlimited4月号に武田の労 作”日本のブルーグラスの夜明け”が掲載されたことがアナウンスされた。この記事は日本滞在が長く現在ヴァージニアにいるマーク・マジオロ(ブルーグラス音楽教師)の仲介で寄稿が実現したもの。一方、笹木店長から近々武田が入院することが公表されると無事退院を願う声が店内のあちこちに。ビルの日本公演はこのあと大阪、金沢と続く。どうか日本の自然とうまいものを大いに楽しんで、ファンを啓蒙し、喜ばせ、いい思い出をたくさんお土産にご帰国を。筆者の好きな曲で目下練習中のEast Virginia Blues やNo Hiding Place Down Hereが聴 けなかったのは心残りではあるが、
Maybe next time somewhere and thank you for your bluegrass music, a heart of Virginia!
      
<文中敬称略。演奏曲名は筆者のつたない英語力で聞き取ったものです。間違いはお許しください。>