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<第16回>作・藤本精一(元ワゴンマスターズ)

<かまたのロイヤル> 僕たちが初めてキャバレーのバンドとして入ったロイヤルは、JRの蒲田駅西口を出て、真っすぐ大通に沿って、百米くらい行った所の左側にあった。店内は長方形でその短い方の一辺がバンドのステージになっていた。そしてバックの壁の裏側が、バンドの控え室になっていた。それでそこには幾つかの椅子があり、壁には洋服掛がついていた。そこは横には長いのですが、幅は一メートルには満たない様でした。バンドのユニフォームは、毎日そこの壁に掛けて帰るのですが、次の日それを着ようとすると、いつもゴキブリがポケットからゾロゾロ出てきた。又、ステージの上の方に換気扇があったのか、店内のタバコの煙が、容赦なく歌っている僕等に襲いかかった。しかし、キャバレーで働いていて感心したのは、みんながとても、お客さんを呼ぶのに一生懸命だった事です。毎日朝礼(朝ではないが)みたいなのがあり、マネージャーが「今日一日お客サマになんとかかんとか」と大きな声でいうと、従業員が、みな大きな声でそれを復唱する。それからマネージャーの訓示があり、今日のお客様にお薦めする料理の説明(どこの国ので材料はなに等)それから、お客様に対するサービスのしかたなど、例えば手が荒れるから洗濯などの家事を控える事。お客様に手をさわらせる場合は左の手を出すこと(柔らかいから)お客様の奥さんの手と同じ様な手では、ホステスとしては失格である、という様なことなど、毎日、こまかく訓示する。また驚いたことに、表でサンドイッチマンをして、通る人に呼び掛けていたのが、マネージャーだった。そこの店では、午後7時半頃までは、サービス料金としてワンセット穴あきの五円玉一個だけだった。それでも、たしか大瓶ビール二本、立派なオードブル、それに女の子もついた。マネージャーは「その時間に来たお客様は、それで帰ってしまっても、必ずといっていいぐらいまた普通の時間帯に来てくれるんだよ」と言っていた。

<工藤君> その頃ウチのバンドでは、工藤君というのがメインボーカルをやっていた。歌謡コーラスみたいな演奏をしていると、どうしてもメインボーカルばかりがもててしまう。それに、彼は結構ハンサムなので、ホステスにも人気がありみんなからプレゼントなどを貰ってた。お客さんの中にも、彼のファンができて、高価な食事に呼ばれたり、洋服などを作ってもらったり、彼はハッピーだった。それで自信がついたせいか、ギャラが安いと言って僕に上げてくれと言ってきた。キャバレーのバンドは、大抵、バンマスの請負仕事なので、バンド自体のギャラは決まっているが、それをいかに配分するかは、バンマスの裁量に任されている。だからメンバーのギャラを上げると、その分だけ、バンマスの収入は減るのです。でも仕方ないから上げた。そのうち毎月毎月と上げるハメになって、しまいにはとうとうやめて行ってしまった。そもそも彼と僕との出会いは・・

ある時、大野さんの仕事で北海道に行く前日、バンドのメンバーがまだ一人足りなかった。それで大野さんが、僕に探してくるようにたのんだ。だから僕は、その頃よく面倒をみていたツームストンズと云うフォークグループから、一人借りてこようと、彼らがその日出ていた蒲田のマーメイドというところに行った。メンバーを借りる事はダメだったが、控え室にいたら、あるボーイさんが同僚に「あー北海道に行きてーなあ」と言っていた。(彼は北海道出身だった。)それで僕は、「お宅ギター弾けますか」と聞いた。彼は「少し弾けます」と言った。だから僕は、バンドのギターを借りて弾かせてみた。結構いけた。僕が「なかなか上手いじゃない・・・バンドやんない、明日から北海道だよ」と言うと「それはいいですね」と言ったので、早速お店のマスターに、その事を相談すると「うちのボーイがバンドにスカウトされたりすれば、今度ボーイを募集する時人が集まり易くなるからね」と、快く了承してくれた。それで彼は、その翌日から我々と一緒にバンドをやる事になった。それが工藤君である。<次回に続く・・>

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