第13回

元ワゴンマスターズ・藤本精一

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<ひろい様でせまい> 敗戦直後の一時期、社交ダンスが大変流行ったことがあります。それで各所に沢山のダンスホールが出来ました。その時ぼくは、アッチコッチのダンスホールのタンゴバンドで、ヴァィオリンを弾いていました。ヨコハマの伊勢佐木町の或る小さなホールでやってた時、何かの都合で僕はそのバンドをやめた。何日か後に用があってそこの事務所に行くと「フヂちゃん、こんど入ったヴァイオリン、なかなかいいよ見てってよ」とマネージャーが言ったので、ホールの方へまわって行って見た。ボーズ刈りみたいな頭をした若い男の子がヴァイオリンを弾いていた。結構よかったので、僕はマネージャーに「なかなかいいですね」と言って帰ってきた。それからかなり後のこと、僕の住家に僕の実母だという人が訪ねて来て、「家に来ないか」といった。僕はいつも、母は亡くなったと聞かされていたので吃驚りしたが、母がどんな人か、興味もあったので、行ってみようかなぁと思い、祖母に相談したら、「いいぢゃない行ってみなよ、嫌だったら又かえって来なよ」と言ったので、いってみる事にした。そして母の家のファミリーになった。それまでは、キョウダイは僕の下に五人だと思っていたが、そこの家にも五人いた。僕の次の子は男で一陽といった。でもビックリした事に、彼はいつか伊勢佐木町のダンスホールで見た、僕の後に入ったオリンの人だった。その後彼は、僕の知人の紹介で、鰐淵賢舟さんに師事した。そのお陰か、メキメキ上手くなって、僕は「お兄ちゃんはダメだねー・・弟さんはよくやっているよ」と、音楽の先輩たちに言われる様になってしまった。そして彼は、ABCシンホニー、コロンビアのスタヂオのオーケストラ、東京音大の講師などをやっていたが、今はフリーらしい。この間ある横浜のコンサートに出たとき偶然あった彼の妹の話では、彼の息子がシンセでギョウサン稼いでいるらしい。いまよく一緒にやっているバンドの若手のエレキの人に「弟のムスコ安西史孝というんだけど知ってる」と言ったら「彼はスゴイですよ、恐らく今日本で一番じゃないですか、殆どNHKのやってるからマスコミではウレてないけど」といった。誠に羨ましい次第である。

<宮本武蔵と水戸黄門> いつの頃か、ヨコハマのマリンタワーのそばにグラスホッパーというナイトクラブがあって、僕はそこのバンドのバンマスをやってた。<ケイコウォーカーさんの叔父さんのお店>ある日、休憩時間にお客さまの席に呼ばれた。「まあ呑めよ」と言われたので水割りを頂いた。初めは色々な話をしてたのですが、そのうちフィドルの話になって、お客さまが「あのなあ昔藤本てのがいてよーそれが凄いんだ」と始まってイロイロとその藤本さんの話をきかされた。僕はまるで講談の中の、宮本武蔵や堀部安兵衛になってしまった様な気がした。でも僕は面白くなって、可笑しいのを我慢してその話を最後まで聞いた。そしてお帰りになる時「お前なんてぇんだ」と言われたので、「フヂモトセイイチってゆうんです」と言うと、その人は面白い人で、やにわに両手両膝を床についてひれ伏して「やあどうもおみそれしました。」と言った。それで僕は、急に水戸黄門になった様な気がした。

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